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他人事ではない。

<秋葉原殺傷>トラック「四十数キロで突入」…容疑者供述 [ 06月18日 02時30分 ]

便宜上ここにぶらさげますが、本文とはあまり関係なく、秋葉原の事件全般について。

事件に関しては既に沢山の意見だの見解だの解釈だのがあって、それらに付け加えるようなことは今さら特にないと思っていたのだけど。前々から凶悪事件のたびに卒業文集だの作文だのを持ち出す馬鹿らしさについては繰り返し書いてきたしね。

でも、いっこだけ。

この事件に関する某ワイドショーでの、主婦から寄せられたFAXの内容、というのが、個人的には超ビックリだった。でもって、自分がずっと疑問に思ってきたいくつかのことがなんとなく合点がいった、というか。

主婦のFAX の内容は、「子供の作文や絵を親が書く/描くのはあたりまえ。そうしないと子供はいい成績がとれず、学校で落ちこぼれになる」というもの。もちろん、加藤容疑者とみられる掲示板の書込みにあった「親が書いた作文でいい成績をとった」云々の記述に対して寄せられた意見。ちなみにこの主婦はそう書いたあとに、「それが子供にとってよくないことなのかもしれないと反省した」とは書いてあったんだけど、

これ、本当にこの通りに「あたりまえ」のことなんだとしたら、ものすごーく由々しき問題ではないだろうか、と思った。算数の宿題を親が手伝う、というのとは話が違うもん。
自分はたまたま子供のころから作文が得意だったり、絵も全国展で入賞したり、という人だったのだけど、それは勉強ができること(中学までは上位レベルだった)よりもよほど、自分にとっては自信につながっていた(今でこそ「絵を描くのは好きだけど絵心がない」ということを自覚して凹んだりしているけど)。

自分が書いたのではない作文で自分が褒められること、もしかすると最初は単純に、
「褒められたこと」自体が嬉しくてそれが自分の書いたものではないことはどうでもいいと思うのかもしれない。人によっては、褒められたことで自信がついて、本当に作文が好きになったり得意になったりしていくのかもしれない。だけど、作文を書くということから切り離されて、褒められたことによる過大な自己評価と万能感だけを増大させてしまうとしたら。

もちろんその過大評価も万能感も、当人に対する客観的評価とは食い違うわけで、そこで気が付いて自分を客観的に見られるようになればいいけれど、少なくない人間が「他人が自分を低く評価するのは不当である」と思って社会に対する不満を募らせたりするとか、もっと追い詰められた状態になってから実は自分に自信を与えていたものが自分自身のものではなくて親が作った虚構であったことに気が付いて親を恨んだりとか、そういう他罰的な方向へと向かってしまうのではないだろうか。

書いてみるとわざわざ書くほどでもないありきたりのことになってしまったような気がする。
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